君ともう一度抱きしめあうまで、手をつないでいていいですか?

 さわやかな風が頬にあたった感覚でボクは目覚めた。
 目前に広がる空は、ここが外だということを示していた。
 どうして、こんなところでボクは寝ていたんだろう?

 「おはようございます。」
 急にかけられた声の方を向くと、そこには一人の少女が立っていた。
 セーラー服の上だけに、下にはスクール水着という奇抜ないでたちで、思わずボクはぎょっとした。
 しかし、ふと自分の体を見ると、少女とまったく同じ格好をしていてますます驚いてしまった。
 「この服装は、およそ百年前より顕著に海水面が上昇しており、それに対応するためのものです。」
 少女は、ボクの疑問に間髪入れず答えた。
 「キミは誰なの?」
 「あなたは私のことを知っているはずです。長期間のコールドスリープにより、記憶障害が起こっていると推察されます。」
 「コールドスリープ…?」
 ついさっきまで自分が横たわっていた場所を見ると、確かに妙な機械の上だった。
 「でも、なんでこんな機械が外にあるの?」
 ボクと少女がいたのは、見覚えあるテラスの上だった。ここは確か、ボクが通っていた高校のはずだ。ただ、記憶にある景色とはずいぶん様子が違った。特に、テラスから見える湖の水位はテラスの柵のすぐ下まで上昇してきていた。
 「先ほども言ったように水位の上昇が著しい今や、この国の七割は水底です。目立った発電手段は太陽光の利用しかありません。そのため、たいていの機械類は外に出さざるを得ません。」
 「…今は、いったい西暦何年なの?」
 先程からの会話のかみ合わなさに、不安を覚えながらも少女に問いかける。少女はまたも間髪入れず答えた。
 「西暦自体は約三百年前に廃止されていますが、あえてそれにのっとって答えるのであれば、西暦三二九七年です。」
 ボクはそれを聞き、あんぐりと口を開けてしまった。
 「あなたがコールドスリープについたのが一二四五年前。あなたの治療方法が活用されたのがちょうど二百年前。それから、治療のための準備と電子媒体の修理が終了したのが一か月前。そして、あなたが目覚めたのがちょうど今のことです。」
 「じ、じゃあ…」
 ボクはあわてて立ち上がろうとしたが、なぜかよろめいてしまう。
 「コールドスリープの副作用です。激しい運動は推奨されかねます。私の手を取ってゆっくり二、三歩歩いてみてください。」 
 「あ、ありがとう…手、あたたかいね」
 「日光で温まっております。本来機械の手に体温はありません。」
 「…キミは…機械なの?どうして僕の目覚めを、こんな…廃墟みたいなところで、待っていたの?」
 景色はどうやらボクの通っていた高校みたいだけど、その寂れ方は尋常じゃなかった。
 「今現存する中で侵入が容易なのがこの場所を拠点に選んだ理由です。私があなたの目覚めを待っていた理由についてですが、私の目的のひとつが、あなたを殺すことだからです。」
 「…は?!」
 「ですから、あなたを殺すこと。もう一つはあなたに『かるめ』のビデオレターを見せることです。ですので、こちらについてきてください。よろけないよう、私の手を握っていてください」
 「えぇ…?」
 困惑が続くボクをよそに、その少女はどんどんと手を引いて先を進んでいく。
 テラスを出て、廊下を進んで、左手の部屋に入った。ここは、確か図書室だった場所だ。劣化はしているようだが、いまだに棚の中にはたくさんの本が入っている。少女は入り口をくぐると、私の方を振り向いた。
 その姿にどこか、既視感を覚えてしまう。この少女、ボクと面識があるって言っていたっけ。
 なんでボクは急にコールドスリープから目覚めたなんて言われて、あなたを殺しますと言われて、素直について行ってるんだろう。
 「どうぞ。この席に座ってください。」
 ボロボロだけど修繕の跡がある木の椅子が差し出された。
 そして、なぜかボクの記憶にある世界からずいぶん時間がたっているにもかかわらず、見たことのある形状のパソコンに、少女は自分の胸のあたりから引き出したコードをつなげて起動した。
 いろいろな操作をしながら少女はボクに語りかける。
 「動画は六本です。それを見終わったらあなたを殺します。その後、私はここでバッテリー切れを待ちます。」
 「…どうして?キミにとってボクを殺す理由は何なの?」
 「私ではなく『かるめ』に理由があります。動画をすべて見ればわかります。」
 「かるめ、って…誰なの?ボクの知っている人なの?」
 「この身体の元の所有者です。動画の準備ができましたので、画面に注目してください。」
 ボクはあわてて画面に向き直った。今更だけど、スク水で椅子に座る感覚が奇妙だった。
 その動画は、目の前の少女と全く同じ外見の少女…かるめ、なのだろうか?が、画面前に座り話しているという内容だった。一本一本はそこまで長い動画ではないみたいだ。

 一本目。
 『今日で、しえみちゃんが眠りについて一週間になるね。
季節は結構あったかくなってきました。
  私はあんまり代わり映えしない毎日です。
  しえみちゃんがいなくなって寂しいです。
  はやく治す方法を見つけられるよう頑張るね。』

 二本目。
 『しえみちゃん。私、やっと医学部に入れたよ。
  いっぱい時間がかかっちゃったけど。
  待っててね。きっと、すぐ会えるから。』

 三本目。
 『私、結婚することになったの。同じ学部の人。
  人間を機械化で延命する研究をしてるみたい。結構有名なの。
  私の方は、あんまり芳しくない。しえみちゃんの病気は症例も少ないし、近頃は病気そのものの治療よりも、免疫をあらかじめ強化したりする方が主流だから、私と同じような研究をしてる人は少ないんだ。
  でも待ってて。しえみちゃんの治療をあきらめたりなんかしないから。』

 四本目。
 『今日、夫の手術を受けたよ。
  全部とはいかないけど、今は半分くらい機械の体になっちゃった。ちょっと不安だったけど、終わってしまえば意外とあっけないね。
  このテクノロジーは今どんどん世界に浸透していってるの。喜ぶべきかもしれないけど、しえみちゃんの病気の症例が減ると思うとちょっと不安。こんなこと言っちゃ、ダメかなぁ?』
 
 五本目。
 『戦争が始まったよ。
  もう人間のほとんどは機械の体だけど、とっくの昔に絶滅した機械を腐食させるカビに似た細菌兵器が出回ってるから、かえって危ないの。
  いまは、私たちの母校が避難場所の一つになってる。簡易用発電機ごとしえみちゃんもそこに移動させたよ。懐かしい景色だね。こんなときじゃなかったらな。
  研究どころじゃなくなっちゃったかもしれない。
  怖いよ、しえみちゃん。機械の体になってから、死ぬなんてこと忘れてた。
  せめて最後に、しえみちゃんに会いたい。』

 六本目。これが最後。
 『悪いニュースと良いニュースがあるの。
  悪いニュース。今日、私以外で、日本最後の人間が死んだこと。
  戦争は終わったけど、どっちかっていうと続けられなくなったっていうのが正しい。
  向こうは食料が底をつきたのかな。定期連絡がなくなっちゃった。
  良いニュース。やっとしえみちゃんの治療方法が見つかったこと。
  いまから治療のための準備を始めるつもり。
  どれくらい後になるだろう。しえみちゃんの治療が終わって、しえみちゃんともう一度会えるのは。
  私、ずっと前から決めていたことがあるんだ。もししえみちゃんが目覚めたら、私はしえみちゃんと一緒に死ぬ。
  今この地球上でしえみちゃんみたいなただの人間が生きてられる時間なんて、一週間もない。すぐに死んじゃうよ。それも、極限状況での餓死なんていう、つらい、つらい死に方だよ。
  だから、その時が来たら、私があなたを殺してあげる。そう決めた。
  …でも、きっとその時が来ても、私はあなたのことを殺せません。
  あなたをこの世界にひとり残すことのほうがよっぽど残酷だ、とわかっていても。

  …私はこれから、自分の操作を単純なAIに切り替えます。
  しえみちゃんの治療の準備を終えるまでに、人の脳と同じ処理を実行するだけのエネルギーを持たせられるかわからない。
  AIには三つの処理を組み込むわ。しえみちゃんの治療の準備。このビデオレター再生のためのパソコンの修理。そして、あなたの殺害。
  ごめんね、しえみちゃん。私じゃあなたを殺せないよ。
  会いたいよ、しえみちゃん…。』

 いつもビデオレターの終わりはカメラに向かって丁寧にお辞儀をしていた少女だったけど、最後だけは強引に電源を落としているかのように見えた。
 すべてのビデオレターを見終わったとき、ボクの頬には涙がつたっていた。そして、その事実に自分が一番驚いていた。
まだ、記憶を取り戻したわけじゃない。彼女との記憶も思い出せないままだ。
 でも、堪えがたい悲しみが奥の方からこみあげてくる。

 「じゃあ、この地球にはもうボク以外の人間はいないってこと…?」
 「はい。海外にはもしかすると生き残りがいるかもしれませんが、連絡の手段がありません。また、ほとんどの生物は絶滅しています。そのため、食糧確保自体が困難です。」
 「かるめの意識を、なんとか復活できないの?」
 「おそらくは無理です。治療の準備期間中に一度も起動していませんので、細かい回路が動作しなくなっている可能性が高いです。修理も難しいことがお分かりいただけると思います。」
 「…キミは、今からボクを殺すの?」
 「その予定です。しかし、時間的猶予はあります。ベランダに出て外の空気を吸いますか?『かるめ』の記憶では、以前のあなたは図書室外が気に入っていたと聞きました。」
 言いようがない絶望感に打ちひしがれ、ボクは力なく答えた。
 「…わかった。じゃあ、そうさせて?」

 ボクは少女に背を向けて、ベランダのドアを開けた。そこにもすでに水が浸水してきている。
 水面には、魚影のようなものが映っていた。
「…魚、だ。」
 少女は驚いたような表情を浮かべる。
 「…見たことのない種類です。生物はすべて絶滅したわけではなかったのでしょうか?」
 「…これ、食べられる?」
 ボクはドキドキしながら聞いた。
 「不明です。」
 
 「…ねぇ。時間的猶予、あるって言ったよね?」
 「はい。具体的にはあなたが栄養失調の兆候を示すまでが『かるめ』から指定された期限です。」
 「じゃあさ。それ、百年くらい延長してもらう。」
 「…生身の人間が食料なしで生存できる限界は一週間ほどです」
 「だから、これから探すんだよ。こんなに近くに生き物いたんだからさ。外に出たら、きっともっとたくさんいる」
 「…わかりました。ミッション変更を受理します。これから私の目的は、あなたを栄養失調にさせないこと。いいですか、『しえみ』?」
 「いいよ。じゃあ、ボクの目的はなるべく生きること、そんで、かるめの人工知能を修理すること。じゃあ、さっそくいこっか、『かるめ』」
 「はい。構いません」
 ボクが差し出した手を、『かるめ』は握り返す。その手はまだあたたかい。
 「この服装がどれだけ効果あるのか見ものだよ」
 「『しえみ』の想定よりかは、いいと思われます」
 ボクたちは、手と手をもう一度握りなおして、歩き出すことに決めた。
 かるめ。まだ、殺されてやらないから。 

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