keen

 あなたを亡くした悲しみを、
 融かすことなど誰にもできはしない。
 世界に散らばるあなたのかけらを、
 消し去ることなど誰にもできはしない。
 今でも痛みはこころを満たしたまま。
 世界が悲しみに飲まれてしまって。
 未来を見つめられなくなった。
 あなたの隙間は二度と埋められない。
残された者にできるのはきっと一つだ、
 世界の最初からずっとそうだった。
 自分の無力を嘆くのでもなく、
 後悔を繰り返すのでもなく。
歌おう、あなたのために。
声が嗄れても構わない、
涙が溢れても止まるまい。
 この身体は朽ち果てたとしても、
 風になって千の夜を、
 星になって幾星霜を越えよう。
 そして歌い続けよう。
 痛みが悼みに変わるまで。

とある西の小さな島国では、歌はひとつの追悼の方法だった。keener、と呼ばれる歌い手が、死者へ歌を捧げることによって、初めて死者は自然に還る。そして、いつか輪廻を廻ってまたこの世へと生まれてくる。墓には、歌が捧げられてからはじめて、旅立った者の名が刻まれる……そんな前時代的ともとれる風習が、海の向こうに隔絶された地だからだろうか、そこでは未だに息づいていた。
通常、彼らkeenerは二人一組で行動し、楽器を担当する方と、歌を歌う方に分かれる。道すがらの街で依頼があれば死者に歌を手向け、得たお金でその日暮らし。そして、ある程度決まったスパンで生まれ故郷へと戻って、また旅をする。大概のkeenerはそうやって自由に暮らしていた。
 だが、中には一人で『弾き語り』を行う者も存在するようだ。
ユーゴという名の青年もそうだった。彼は、古い竪琴片手に1人で旅をしていた。色素が薄い、というよりかは故意に脱色したような色の髪は、短く散髪されてはいるもののそのやり方は大変乱雑。しかもぼろぼろの布きれのような服をまとっているという見るからに怪しい風体の青年だったが、歌と竪琴の腕だけは確かであった。
 かたや老後の道楽として歌う者、かたや数多の事情を抱えてその道を選んだ者……keenerにも色々な者がいるが、果たしてこの男・ユーゴは、何を抱えて歌うのか。それはまだ、分かるべくもない。

 あの街を出て、一人きりで旅を始めてもう一年だとは思えない。珍しく一人で旅をするkeenerがここいらにいる、という噂も、それなりに広まっているようだ。三度目の旅はそろそろ半年。普段ならもう村へと戻る時期だが、俺はいまだに逃げ続けている。

 夕日もそろそろ西の空に融け落ちて、星明かりが散らばりだしたころに、俺はあの街に着いた。煉瓦造りの家が整然と建ち並ぶ様子は、以前訪れた時と少しも変わっていなかった。冷たい石の感触が、まるでどんな変化も拒んでいるかのようだった。
 宿を探すためにそこらの看板を物色しながら、自分の底の外れかけた靴が一定間隔で石畳を叩くのを聞いていたら、晩秋の涼しさをはらんだ風が木々や身体をかすめていった。

 髪がボサボサの青年と、妙な服装の青年が連れ立って歩いている。ボサボサの方は、弦が向かい合わせに二組張られた、古い竪琴を抱えていた。右手は時々、調律のためか手癖か知らないが、ラの音の弦を小刻みに弾いている。
 妙な服装の方は、そのわざとぼろぼろに加工したらしいフード付きのケープをやたらとはためかせて歩いている。季節は冬の初め、風通しの良さそうな服は相当寒いと思われるが、(頭の風通しも良いのか知らないが)彼は意に介することなく歩みを進めていた。
 その何処か世捨て人のような2人の佇まい……言うなれば自由人のような見た目、そして片一方の青年の手に抱えられた竪琴は、彼らがこの地に根付く文化の一角を担うkeenerの二人組であることを示していた。
 「なんだか古風な作りの街だったなぁ」
 「たしかにな。ほら、なんだっけ、三匹のさあ。そうだ、子豚だ。あの話を思い出したよ。なんか肉が食べたくなってきたや。」
 妙な服は、会話の端々にわざとらしく芝居がかった所作を挟むのが癖であるらしい。今の言葉も、口籠る時は顎に手を当てて俯いてみせ、思い出した時には手を翻して指まで鳴らしてみせた。一方のボサボサは、弦を弾く手を止めることなく淡々と答える。
 「お前はほんとに食い気の塊だな」 
 「あはは。帰りどっかの料理屋でなんか食ってこうよー。俺腹減って死んじゃうよ。」
「そしたら俺が子豚の歌を歌ってやるよ。」
「やだよー。お前歌下手くそだもん。チェンジ。ぶーぶー。」
 今度は両手の指をチョキの形にして上下させるジェスチャーをとった。子豚の蹄のつもりであろう。
 対する方の青年は、相方が豚になっても動じる気配はない。
「歌でお前に敵う奴なんて他にいるかよ。」
「いるわけ無い。だからお前が死ぬときは特別に俺の歌で送ってやるよ。料金は負けといてあげる。」「金とんのかよ!」
 ボサボサ青年は、ここにきて初めて真面目に話に突っ込みを入れた。身に染み付いた貧乏根性は恐ろしい。
「伴奏はちゃんとやってね。」
「えっ、俺が死んでんのに?」
「竪琴でお前に敵う奴なんて他にいるかよ、ははっ。」
「バッカじゃねえの。」
 そんな軽い掛け合いを続けながら、2人は次の街への道のりを進めていった。

 適当な宿で体を休めた翌朝。
町外れの墓地に行くと、入り口付近でまだ新しい墓が目に入った。そこに名前は刻まれておらず、磨かれた石の表面はつるつるとしていて、未だ止まない風が俺の服をはためかせるのを映していた。
 keenerが仕事を探すときは、たいていその街の墓をうろつくことが多い。まだ墓に名前の入っていない死者がいるかどうか知ることができるから、というのが第一の理由だ。依頼人のほうもそういう事情は分かっているので、大体はお互い巡り合えるという仕掛けになっている。
「……あんた、もしかしてkeenerかね。もしそうなら、仕事を頼みたいのだが。」
 今回もその例にもれず、一人の老人に声をかけられた。清潔そうな身なりで、裕福ではないが清貧という印象を感じさせる。なんだか人のよさそうなおじいさんだなあ、そう思った。
「もちろん構いません。ですが、その前に少し、花を供えたい墓がありまして。」
俺は、墓をさらに奥へと進み、一つの比較的新しい墓の前に立った。そして、背負った荷物の中から、小さな黄色い花……キンポウゲの束を取り出し、そこに供えた。ここにくる前に経由してきた街の名産品だった。
「知り合いの墓なのかね?」
 「知り合い、というよりか……ええと、実は前にも、この街に来たことがあるんです。その時の方の墓でして。」
「keenerが仕事で関わった人間の墓参りに来るとは、あまり聞かないね。大変じゃないのかい。」
「まあ、仕事ですからね。まともにちゃんと仕事をしてきた場合なら、それこそ膨大な人数になりますし。今回は旅路が偶然、前に辿ったところと似たような道のりになったもので。」
「なるほど」
 そう、本来こんなお節介……(だと俺は思っている。そもそも、俺たちkeenerは故人を送るところまでが仕事のはずだ。)をするやつはそう多くはない。よっぽどのお人よしか、まあ、言葉は悪いけれど客寄せの『演出』としてそういうことをするkeenerもいると聞く。
 「ところで、仕事のことなのですが……あちらのお墓、でいいですか?もうすでにお墓に安置されている場合は……」
「ああ、いや、まだ病院にいるんだよ。頼みたいのは家内のことなんだが。……流行病で、ぽっくり逝っちまってね。その数日前は、あんなに……」
 言葉に詰まる老人を前に、控えめに切り出した。
 「……よろしければ、奥様とのお話をお聞きしましょうか。曲を選ぶ参考にもなりますから。」
keenerはたいてい、死者が来世、どのようなものへと転生するのか……それは動物だったり、人だったり、あるいは概念だったりすることもあるが……というような内容の歌を、自分の覚えている中から選んで歌う。その場その場で、keenerの裁量で選ばれることもあるが、亡くなった人物に合わせて歌を選び出すことも少なくない。
 遺族と語らうことは、そういう意味においても重要なことだ。それに、自分達は心痛を軽くするための専門職というわけではなく、単に歌うだけの仕事に過ぎないけれど、それでも話すことによって癒える痛みもないではないだろう……そんな風なことを酒に酔っては毎回毎回、変に真面目な口調で言っていた一人のkeenerのことを俺は思い出した。
「こんな老人の話、聞いても面白くないかもしれないが、それでもいいならぜひお願いするよ。妻がいなくなってから、毎日が静かすぎて落ち着かない、というのもあるが。よかったら今晩は泊まっていくといい。たいしたもてなしはできないが、料理にはちと自信があるんでね。」
今晩はビーフシチューでも作ろうかね、とおじいさんは笑いながら家に案内してくれた。彼本人の雰囲気に違わず、その住まいは決して豪奢ではないものの、隙間風が滑り込むのに躊躇するくらい暖かな家だった。
 まるで息子が帰ってきたようだよ……。そう呟く彼の顔は少し寂しげに見えた。
  *
 仕事の帰り、流浪の仕事民からすれば仕事と仕事のあいだ、に立ち寄った料理屋は、店主が1人とウェイトレスが1人という小ぢんまりとした店だったが、味がいいらしいのと時間帯もあってかまるで酒場のような賑わいであった。
 その喧騒の中にあっても一際通る声で喋り続ける青年が1人、そしてその向かいには面倒くさそうに相槌を打ちながら、こちらは真剣にビーフシチューをかっこんでいる青年が1人。
「……だから、やっぱ俺の選曲は最適だったってワケ。見た?あのご家族の嬉しそうな顔!やっぱさあ、今回みたいに残された人たちの悲しみをほんの少しでも軽減できたって思えたら、keener冥利に尽きるってもんよ。にしても、ここのビーフシチューおいしいね!最高!最高の仕事の後の美味しいご飯最高!あっおにーさん、ビールお替りちょうだい!ふはー、仕事の後のお酒もたまらんよね!」
 「はいはい、お兄ちゃんこれで五杯目ー?大丈夫?お水持ってこようか?」
 「んー、大丈夫っす!」
「あんまり飲みすぎんなよ、そう強くもないくせによ。ベラベラ喋りやがって、だいぶ酔ってんじゃねえか。潰れたら外にほって帰るぞ。」
 「冷たいねー。俺悲しいよお。いいよーだ、俺だってユーゴが潰れたらほって帰る……つって言えないとこがずるいなあ。お前ザルだもんなあ。ずーるーいぃー」
「酔っ払いは絡み方がうぜぇ……や、それはいつもか。うるさいし迷惑だし喉枯れたら仕事に響くんだから早く黙れ」
「あはは、ハイ、ビールお替り。でもほんとに飲み過ぎないようにね?自分が送られる側になっちゃうかもよー、なんてね。」
 「やは、店主さんやっさしい。ユーゴも見習えよお、ほら」
「店主さん、このシチューおいしいっすね。家庭的な味っていうか。」
「ガン無視!?」
 なんだよなんだよ、と抗議する青年を、相変わらず店主はにこやかに見ていたが、その目には懐古と哀愁が浮かんでいた。
「……ありがとう。父から教わったんだ。昔は料理人だったらしくてね。……数年前、ひどい喧嘩をして、それっきりなんだ。お互い、意地を張っているんだよ。今更、なかなか会いに行けなくてね。」
だから、君たちみたいな素直な関係が、すごくうらやましいよ。年若い店主はそうこぼした。
  *
 その夜は、ビーフシチューを食べながらおじいさんの長い思い出話を聞き続けた。
 彼が昔、新聞記者だった時に良家の子女だった奥さんと出会い、親の反対を後目に大恋愛の末、半ば駆け落ちのように結婚したこと。この家は、二人がこの街に越してきた時に建てて、今までずっと同じ時を刻んできたということ。そこで、今はもう畳んでしまったが、小さなレストラン経営を始めたということ。息子が生まれ、大きくなるにつれ、料理を教え、いずれはレストランを継がせるつもりであったということ。
 しかし、成人して、役者になりたいという息子と激しく喧嘩をしてしまったこと。息子は家を出て、それから全く音沙汰がない。役者で大成したという話も聞かないし、今はいったいどこで何をしているのだろうか、ということ。
「妻はもう年だったし、別れを予想していなかったわけではなかったが……ただ一つ後悔があるとすれば、息子と最期に会わせてやれなかったことだ。私と息子の意地の張り合いに巻き込んでしまった……謝ろうにももう遅いがね」
 「……そうでしたか……」
 「……さあ、こんなものかな。お聞き苦しい話で申し訳なかったね。若い人と話せて、自分まで若返ったようだったよ。……ところで、料理は口にあったかな?」
「ああ、とてもおいしいです、このシチュー。パンにもあいますね。」
 それは、舌に覚えのある、家庭的なブラウンシチューだった。
 「それはよかった。食べ終わったら、寝室と風呂を用意しておくから、今晩はゆっくり休むといい。明日は働いてもらわないといけないからね。」
「ありがとうございます。……えっと、その前に、少し電話をお借りしてもいいですか?」
「もちろん構わないさ。廊下の角においてあるよ。」
 ドアをくぐると、俺は電話の前に立って、財布の中から店名と電話番号が印字されている、名刺に似た紙を取り出した。紙の端っこは擦り切れて丸みを帯びていたが、書かれていた字は少しも色褪せていない。そこに書かれた店主の名前、その苗字は、今しがたまで話をしていた老人と同じものだった。それを確認すると、俺はゆっくりとダイアルを回した。
  *
 借りたベットの上で仰向けに横たわり、低めの天井をぼんやりと眺めた。先刻の老人との会話を思い出す。
 遺族と語らうことは重要なこと……その言葉が自分の頭を一種の呪いのようにぐるぐると回転した。
 知った仲でもない相手と話をする、これは実を言うと自分が1番苦手とするところのことだった。日常会話ですら、こちらが話題を選ぶのに躊躇してしまう。それが故人の話となれば尚更だ。どんな風に頷けば良いか、どんな相槌を打てば良いか、相手に真摯に向き合おうとすればするほど、自身の対応が全て間違いの気がしてきてしまう。
 それでも、これまでは良かった。俺よりも的確に、打てば響くような受け答えを返す『外交担当』がいたからだった。俺は下手に不慣れなことをしなくても、横で頷いているだけでなんとか体裁は保てる。
 あいつの愛したこの仕事を、俺も愛していないわけではない。ただ、今みたいに1人で続けることには限界があるような気がしていた。今日ついさっきの選択だって、果たして正しいことなのかわからない。こんな時お前ならどんな選択を取っていたか?それをできる限り模倣しながら、1人でやっていけているように見せかけるのが長続きするはずもないだろう。
 それならもう一度、相方をどこかから探せばいいじゃないか……そんな決断ができるような人間ならば、そもそもこんなことになっていない。俺は無理矢理に頭まで布団をかぶってさっさと眠りにつくことにした。
  *                
 「さわやかな朝だなあ」
 誰に言うでもなくそう呟くと、寝心地良いベッドから名残惜しくも起き上がった。窓を開けたら吹き込んできた程よい涼しさの空気は、眠気覚ましに最適だった。
 服を着がえて、愛用の竪琴を抱えると、老人に借りていた寝間着を返した。朝食を食べたら、ついに仕事だ。
 町の中央にほど近いところにある病院へは、歩きで二十分程度だった。道中、老人は道すがらの町の名所などを紹介してくれた。病院に到着したのは十時を回ったくらいで、彼を呼び出した時刻は少し早かったなと思った。
 会わせたい人がいます。そう伝えると、老人はまさか、という目で俺を見た。そのまさかだった。

 「……父さん」            
 病室の前で立ちすくんでいた見覚えのある顔の青年。清潔感のある服装で、人のよさそうな顔をしている。それは、いつかの料理屋で見た時とほとんど同じだった。
 「お前……今までどこで何をしていたんだ」
 「……役者になるなんて大口をたたいたけれど……やっぱり厳しくて。努力は目いっぱいしていたつもりだったのに、どんどん抜かされていって、いつか生活が苦しくなってきて。稼ぐために細々と料理屋を始めて、いつかそれで充分生計を立てられるようになって、その立場に甘えてた。いまさら父さんと母さんに会いに行くことなんて、できなかった……でも、母さんが亡くなったって聞いて……」
 本当にごめん、とうつむく青年を、老人は厳しさと温かさのこもった目で見つめ、そして静かに彼を抱きしめた。
 このタイミングは、少し、野暮だが……。
 「それでは、儀式を始めさせて戴きます」
 じゃらん、と俺は、竪琴を鳴らした。
  *
 君が海へとおっこちた 揺らぎ煌めき姿を変えて

 熱の形で地を滑り 家の暖炉へ飛び込んだ

 幾度歴史が途切れても 決して途絶えぬ火の元に

 集えや集え 光を導に
  *
 歌を聴き終わった老人と青年は、ほう……と息をついだ。青年が口を開く。
 「とても……なんというか、不思議と温かい曲でした。今のは……どういう歌なんですか?聞いたことのない異国の言葉でしたが……」
 「炎を題材にした、北のとある民族に伝わる音楽です。その民族の人々の間では、四大元素……ここでは、風、水、土、火のことですが、その中で最も人の近くにあるのは『火』だとして、大切にされているんです。だから、時に行く手を照らす燈火となり、日々の糧を生み出す焔となり、暖を取るための焚火となるように……そういう意味合いだったのですが、どうでしょうか?」
 「……本当に、ありがとうございました。今まで……心にわだかまっていたものが全て融けてなくなったようで……。」     
 深々と頭を下げ、お礼を、と言いかけた老人を遮り、俺は言った。
 「いや、実は前の町でたんまり謝礼をもらったんです。今は懐があったかくて。ビーフシチューのお代とでも思っておいてください。」
 こちらとしても、自分の選択がなんとか成功をおさめることができて良かった。俺はとにかく、不慣れな仕事を上手く行かせたことに安心していた。だから、当然想定するべき青年の次の言葉に対して全く準備ができていなかった。
 「僕からも、もう一度お礼を言わせてください。もう1人のお兄さんにも、よろしくお願いします。」
 「……はい」
 なんと続けていいかまたわからなくなり、それでは、と言って、まだ繰り返し頭を下げている親子のもとを、逃げるように早足で後にする。外に出ると、相変わらずの涼しい気候だったが、心なしか向かい風が吹き付けているような気がした。
 この選択が正しかったのかも分からない……。でも、今から未来へと歩むはずの2人に言えるわけがない。
 あいつは……俺の弟、keenerとしての相棒だったリュカは、ちょうど一年前に病気で死んだ。俺は、あいつの死に向き合いたくなくて、俺たちの故郷にリュカを置き去りにしたまま逃げ出したんだ。
  *              
 大昔の話だ。
 「……」
「どうした?」
 「すごく愛していて、大事な人を失ったとき、それを受け入れられることは、果たしていいことなのかな。そりゃあ、ずっと後悔するよりいいことなのに、違いはないけれど。」
「……たぶん、俺だったら、本当の意味で誰かの死を受け入れることなんて生きている限り永遠に無理だろうな。人一人の隙間は、埋めるのにあまりにも大きいよ、きっと。」
 「じゃあ……ユーゴはどうするんだよ?もし……もしもだけど」
 「俺は……歌いたい、と思うよ。だってそれが俺の仕事だから。それで、ずっと歌っていたら、きっといつか『受け入れ』られる……気がする」
「歌うことなんてできるのかな……」
 「……なんで急に、こんな話を始めたんだ?」
 「……俺にとってはね」
 ユーゴがその大切な人だからだよ、とあいつは続けた。
  *
俯きながら歩いて、次の街に着いたのは、空が夜の青と夕日の残滓を溶かしたようなグラデーションになった時だった。前の街に比べて、全体的に町中が暗いように感じる。決して、時間帯のせいではなく。
(今日はもう墓を見回ることはやめて宿を取ろう)
そう思って町中をぶらついていたが、どうも道行く人の視線が背に刺さる。なぜか知らないが、外にいる人皆がこっちを、特に俺の手元の竪琴を見ながらひそひそ話しているようだ。
(居心地が悪いな……)
 そうすると、一人の若い男が話しかけてきた。その睨みつけるような目は俺を値踏みするようにジロジロ眺め回していて、やっぱり居心地悪い。
「あんた……その外見、keenerだよな?やっぱり、ローゼスに頼まれてこの町に来たのか?」
『ローゼス』……?誰だ?
 青年が話しかけてきたことで、より視線の鋭さが増した。『ローゼス』という言葉が群集の会派の端々から血のように生臭い響きでじわじわにじんでくるようだ。
 「ここじゃなんだから、俺の家にでも来ないか。詳しい話はあとだ。」
ぶっきらぼうにそういうと、青年は町の大通りをずかずかと振り向きもせずに行ってしまった。とりあえず後をついていくが……なんだろう、ここの異様な雰囲気は?

 案内されたのは、質素な作りのパン屋だった。今日は定休日らしく、札の下がった扉を抜けて奥の住居スペースへと案内される。机について待っていたら出てきた紅茶は、本人の人を寄せ付けないような雰囲気とは違ってまろやかで美味しかった。そんなことはまあどうでもいい。
 セルと名乗るその青年が語ったのは、次のような内容だった。

 ローゼスっていうのは、俺の幼馴染の名前で、あいつ、姉のことをずっとkeenerに依頼したがっているんだ。
 ここには昔から、町の運営に食い込んでいる地主の一族がいる。実質ここはその一族の独裁状態で、逆らったら村八分にされてしまうから、その家の奴が言うことには誰も逆らうことができない。
 その家の息子というのがこれはもう大変なクズで、家の権威を振りかざしての無銭飲食は当たり前、気に食わなければ街の人に暴力をふるうことだってある。皆よく思ってはいないが、どうしようもないと諦めているんだ。
 一年前のことだ。そいつが、ローゼスの姉……トゥリアさんにほれ込んで求婚したんだが、結果は芳しくなかった。当たり前だよな。俺が女だったらあんなの絶対嫌だね。でもそれは、この場合は悪い選択だった。
それで、まあ、予想通りの結果になったって訳。
もともとあいつら姉妹は両親を亡くしていて、残されたものといえば大きな屋敷だけ、金にはいつも困っていたんだ。姉のわずかな稼ぎと町の人の好意で何とか生活できていた、という感じだった。
まずトゥリアさんは仕事を辞めさせられた。それから、町のあらゆる店は姉妹に物を売ることを禁止された。めちゃくちゃだろ。うちはパン屋をやってるんだが、父さんはこっそりローゼスにパンをあげていたところを見つかって、何度も思い切り殴られた。今はうちの2階で療養してる。命に別状はないからこっちは安心していいぜ。
 それからというもの、息子が怖くて積極的にあいつらを助けようとするやつらはどんどん少なくなった。
外の奴から見たら馬鹿馬鹿しいだろうけど、これが俺らの街の常識なんだよ。
 俺も人目を盗んで食事を届けたりしてたけど、足りなかった。
 助けられなかった。
 心労もあったんだろう、お姉さんはある日倒れた。ローゼスの介抱も虚しく、容体は日に日に悪くなるばかりだった。
医者は呼んでも来なかった。
半年前のことだった。お姉さんは亡くなった。墓も作れないから、せめて埋葬だけでもと思って手分けして穴を掘った。あとは歌を歌ってもらうだけなんだ。だから、あいつは名の知れたkeenerを電話や手紙で招待して、姉さんを葬ってもらおうとした。
……その全員が、うまいこと追い返されたり、あるいは無理やりたたき出されたりして、ローゼスのもとにたどり着くことができていないんだ。
あいつの姉さんは死ぬことすらまだ許されていないんだよ。
 こんなのってあんまりだ。あんたもそう思わないか?
 俺からもお願いだ。どうか、どうかローゼスと姉さんを救ってやってくれ……!

 その日は、もちろん町の宿になど泊まれないと言うことで、俺はセルの家に泊まることとなった。しかし、keenerが次々と追い出されると言う話があったが……彼が俺を匿っていることなど既にバレていることだろう。大丈夫だろうか?暴力沙汰になったら竪琴で鍛えた俺の右腕が役に立つことがあるだろうか。無論冗談だ。
 ここまできたら乗りかかった船である。それに、あいつなら絶対にこの仕事を意地でもやり遂げると言うだろう。それなら俺も、意地でもやり遂げないといけない。が。
 そんな心配をしていたら、こっちだ、とセルがリビングの奥にある床下収納の扉を指さした。なんと、それは画期的なカムフラージュだ。俺が某猫のように床下収納に合わせて立方体になってしまうかもしれないが……。
 セルが手をかけてその小さな扉を開けると、いったいどこから出ているんだと言うような音量でギギギギギギ……と軋み、扉が空いた。立て付けが何故かずっと悪いままなんだ、と言いながら下に降りていくセル。床下収納だと思っていたら、下は意外と広い地下室だった。安堵。ここは、倉庫だろうか?部屋の半分くらいの面積には小麦粉の袋が積み上げられている。
 「座布団を敷いておいたからくつろいでくれ。音は立てるなよ!」
 隅っこの一角に確かに座布団が敷いてある。とりあえずあぐらをかいて座ってみた。うーん、小麦粉が見える……。上を見た。うーん、何故か吹き抜けになっていてオシャレ……。
 それから、と彼は続けた。
 「もし何か……この場所に誰かが押し入ってくるようなことがあれば、この壁のレバーを思いっきり引いてくれ。」
 指差す先には、謎の金属のレバーがあった。大丈夫かこの家?

 その晩。部屋の壁に背中をもたれさせてうとうとしていた俺は、上から聞こえるセルの声に目を覚ました。
 「だから、keenerは依頼を伝えたら逃げ帰ったって。俺んちには今誰もいないよ。」
 それに対して、誰かの声が言う。どうやら複数人いるらしい。
 「まあ……家の中を少し、見せてくれるだけで良いからさ……」
 「誰もいないならいいだろ?」
 心なしかその声は億劫そうだ。実際、誰も望んでやっているわけではないだろう。
 「しょうがねえ……ただし2階だけだ。床下はダメだ。」
 その言い方はやばくねぇか。
 「なに!その床下が怪しいぞ。開けてもらおう。」
 「いや、だからダメだって……。」
 「問答無用!こんな言い方をした自分を恨むんだな。」
 とにかく早く仕事を終わらせて帰りたいようだ。段々乱暴になってきている。
 「あ!待て、開けるな!」
 セルの声に合わせて、慌ててレバーを引くと、ギギギギギギ!!!と言う音が再び鳴り響いた……かと思うと、俺の座っていた床の一部が昇降機の容量で上がっていく!慌てて見回すと、同じ容量で、呆然としたおじさんが乗ったベッドが乗った床、が、反対に降りていくのが一瞬だけ見えた。あれはもしや、セルの父親では。ああ、彼の寝床が対応しているのか……。吹き抜けはこのためか。察するに、倉庫から物を運び出すためのものだろうが……。なんとも大掛かりな仕掛けである。今回ばかりは、ドアの立て付けが悪くて助かった。昇降機の存在がバレたらまずいからな。
 吹き抜けから下の声が聞こえてきた。
 「ひどい立て付けだ……。どこから出てるんだあの音。……あれっ!?あんたは……」
 「お、お前たち!失礼だろう、人の寝室にずかずかと!」
 急にもかかわらず調子を合わせるセルの父。
 「し、寝室?こんな倉庫みたいなところで寝てるのか、あんた。」
 「悪いか!生粋のパン屋たるもの、小麦粉に囲まれて眠りたいと思うのが普通だ。」
 「だから入れたくなかったんだよ……。ほらもうわかったろ。夜なんだから帰ってくれ。」
 「あ、ああ……。」
 渋々……と言うよりも、肩の荷が降りた、と言う雰囲気で、彼らは帰宅していった。

 下に降りると、セルと親父さんがニヤニヤしながら待っていた。
 親父さんに睡眠妨害してすみません、と謝ると、いいってことよ、と返された。
 「なんとかうまくいったな。」
 「な?父さんの言う通り、倉庫にエレベーターをつけておいて良かったろう。」
 「ああ、少なくとも2年ぶりでも動作する優秀なエレベーターだとは証明されたぜ。」
 そんなものに客と親を乗せるなよ!
 「ま、これで目下の問題もなんとかなったし、あいつらも2回も訪ねてこないだろ。もうゆっくりできると思うよ。」
 「そりゃどうも。」
 あー、それから……と口籠もるセル。
 「聞いてなかったかもしれねーけど。さっき、嘘でも、逃げ帰ったとか言って悪かったよ……。」
「……そりゃどうも。」
 なんとなく照れくさくて、わざとそっけない返事を返した。照れついでに気になっていたことを聞く。
「そういや、何でわざわざ地下室を開けるように仕向けたんだ?そもそも親父さんが初めからここにいた方がスムーズだったんじゃ……」
「あー……いや、それはだな」
 このエレベーターを使ってみたくて……。とセルはもう一度口籠った。
 親が親なら子も子である。

 見つからないよう早朝に家を出て、依頼主の元へと向かう。ただでさえ日の出前だと言うのに、空には雲が立ち込めており、あたりは大変薄暗かった。
 見送りの親父さんは俺にお仕事頑張ってな、と声をかけると、今度は息子に向き直って、お前も色々頑張れよ!と言った。心なしかニヤつきながら。うるせえよ、と顔を赤らめるセルに対して、色々察した俺もニヤついた。

その屋敷は、街のはずれもはずれの場所、誰の嘆き声も外に届かないようなところにひっそりとたたずんでいた。そして、なんといっても特徴的なのは、屋敷を覆いつくす蔓薔薇の毒々しい暗赤色の花びらだ。昔は大層手入れが行き届いて美しい庭だったのだろうが、今やその面影はなく、屋敷と薔薇の蔓が一体化してそれ自体が一つの生物のようになっており、ある種のグロテスクさを放っていた。
 美しい花の下には死体が埋まっている。
 不謹慎にもそんな話を思い出してしまった。
 ふと屋敷の入り口を見やると、そこには1人の少女が佇んでいた。白い、レースのあしらわれたシンプルなドレス。腕も足も折れてしまいそうなほど細い。
 「……セル」
 「ローゼス!昨日パン持ってきた時にも言ったと思うけど、やっとkeenerを連れてきたぞ!」
ローゼス、と呼ばれたその少女は、彼女に笑いかける青年と似たような年齢と聞いていたが、どうしてもそうは見えないくらい小柄過ぎて痛々しい。
 「あなたが……」
 こちらを見つめる少女の目には、暗い館とは対照的に、明るい期待の光が浮かんでいた。
 どうぞこちらへ、と、ローゼスは件の庭の中へと器用に蔦の間をくぐって進んでいく。セルも、ローゼスほど小柄ではないので簡単にとは言わないものの、慣れた手つきで草木を払いながら彼女の後を追う。一方の俺はと言うと、さっきからあちこちに薔薇の棘による負傷を負ってはいるけれど、おそらく年下だろう2人の前ではそんなことはおくびにも出さない。
 なんとか鬱蒼とした薔薇の園を抜けると、その最奥には広々とした空間があった。その中央にはなだらかな土の丘があり、薔薇の苗が一本だけ植えられていた。あそこがローゼスの姉、トゥリアの墓か……。
 その薔薇は先ほどまで行手を阻んでいたものとは違い、花こそついていないものの葉は若々しくて、暗い庭の中でそこだけが生命の明るさを感じさせていた。皮肉なものだ。
 ローゼスがおずおずと口を開く。
「あの、やはり何か、姉の話などをしたほうがいいのでしょうか」
 「いや、今回ばかりはその必要はありません。もう曲は決めていますから。」
 セル青年に、あまり彼女につらいことを話させるのはよしてほしい、と頼まれたのもあるが。
 話はもう彼から十分聞いたしな。
 「そうですか……あの」
 ローゼスが俺の目をじっと見据えた。
「本当に、ありがとうございます。これでやっと姉の死と真っ向から向き合うことができるようになります。……今はお聞きの通りこんな状態ですから、満足にお礼もできませんが……いつか必ず、このお礼に伺わせていただきます」
 「俺からも……お礼させてくれ。こんな依頼を、急に頼み込んだのに本当にありがとう。もしあんたが偶然ここに立ち寄ってくれていなかったらと思うとぞっとするよ。」
その時、さあっ、と日の光が差した。朝から立ち込めていた灰色の雲に切れ目ができていた。光明が、暗い庭へと一筋さしこんだ。
いいタイミングだろう。
 「……それでは、儀式を始めます」
 俺は、竪琴に手をかけた。
  *
 科学者は月を落とそうとした

 銃で脅して網かけて それでも奴には届かない

 手を伸ばせども意味はなく 彼はしまいに疲れ果て

 諦め知らぬその男 月へと愛を囁いた

 奴は慌てて落っこちて 塵に変わって見えなくなった

 ムーン・ダストの降る跡に 残るは青の蔓薔薇のみ

 しかして彼らは蔦伸ばし 再び空へと帰るとさ

 科学者は青の月抱いて 今夜も夜空に眠るとさ
  *
 すっかり晴れた空の下、俺たち三人はもぐもぐとパンを食っていた。無事葬儀も終わって一息ついているところである。なかなかセルの家のパンはうまい。
 ところで、その歌った曲というのは。
「青いバラ、というのが東洋にはあるらしくてな」
「へえ?」
 おいしそうにクリームパンをもふもふ食べているローゼスに代わってセルが聞き返してきた。
 「他の花との交配だったかで色を変えるらしいんだが、どうやらそれは、今まで作り出すことの難しい色だったそうだ。そして……」
意味ありげに目前の青年に視線を注ぎながら続ける。
「……そこから転じてその花には、『不可能を可能にする』という意味がある」
 はっ、とセルが目を見開いた。そして、何かを決意したような表情で深呼吸をし、一言。
 「……ローゼス、俺さ……次の町長の選挙に立候補しようと思う」
 「……え?」
 「今まで、ほとんど結果の決まった茶番みたいな選挙だったろ?みんな、どうせまたあいつらの言いなりになるやつが選ばれるに違いないってあきらめきってたんだよ。俺だってそうだ。でも、それじゃダメなんだ。あきらめてたら駄目だ。こんなのはやっぱりおかしい。変えるべきなんだ!そうだろ?」
「セル……すごいよ!すごい!それってとってもすっごいことだよ!私……私たち!前に進めるんだよ!」
まるで子供のように、彼と彼女ははしゃぎあっていて。
 「それじゃあ、俺はそろそろお暇するよ」
 「あ……待ってください!あなたのお住みのところをお聞かせ願えませんか。そのうちお伺いさせてください。」
 「……ここから大通りを南にずっと行ったところの、潮風のきつい村だ。名前は特にねぇけど……。まあ、暇になったらパンでも持ってきてくれよ。これから忙しいだろ、いろいろと」
「じゃあ、これから南に行かれるのですか?」
 「ああ……いや、そのつもりだ」
「ここから南に行くと最初にたどり着く小さな村があるのですが、そのあたりは治安が悪く、山賊とか盗賊とか……とにかく、賊が多く出るそうです。お一人での旅なので、どうかお気をつけてくださいね」

 治安が悪いと言うだけあって、街灯ひとつない道は殆ど舗装されておらず、昼間ならまだ良いが夜中は全くの闇になってしまうだろうことが容易に想像できた。この辺りは何度か通ったことがあるものの、どれも荷馬車を間借りしてのことで、こうして自分の足で歩いたことはない。
 これまで気づいたこともなかったが、静かな道を通ると自分は考え事が捗る方らしかった。

 keenerという職業は、弟が愛した仕事だった。
 物心ついた頃から常に歌と共に生きてきた俺たちは、そもそも歌うことが好きだった。人のために歌うという仕事……俺は自分の竪琴が誰かのためになっているという事実が誇らしかった。リュカも同じく自分の歌を誇りに感じているだろうと思っていた。
 無論彼は自信家だったので、自分の歌には譲れぬ自負があったことだろう。だが、あいつは俺のように、ただ歌う仕事だからと言うだけでこのkeenerという仕事を気に入っていたわけでは決してなかったのだと思う。むしろ、人のために、人を救うために、と言うところにこそ彼はこだわっていた。
 このまま一人で旅を続けて……あいつの理想のkeenerになれたら。たくさんの人を救えたら。
 いつかあいつの死に向き合えて、そして……そのまま彼のことを忘れて生きていけるのではないかとすら思った。そんなことは無理だと、分かりきっていたはずなのに。これからも、俺があいつを忘れられるなんてことはありえない。keenerとしての役目を果たせば果たすほど、尚更今の自分の隣にリュカがいないことが俺を苛み続けるだろう。
 適当な理由をつけて、あいつから逃げていただけだ、俺は……。
 もし次の村で仕事があったなら、それをこの旅の最後の仕事にしよう。
 それから帰ろう。南の、あの街へ。

 すでに夜といってもいい時間帯、俺はやっと集落のようなものを見つけた。何とか命拾いしたようだ。
 ここがローゼスの言っていた村か……と、一人ごちる間もなく、俺は一人の女性に捕まっていた。こんなに暗い時分、俺のように怪しい男に声をかけるなど、なんて勇気があるんだ。正直いきなり声をかけられて……さらに後ろから、羽織った服を引っ張られて……こっちがびっくりしたぜ。首も締まったぜ。
 「あなた、その服装は、keenerよね?依頼をしてもいいかしら!この小さな村に来てくれることって、めったにないのよ。とにかく、今晩はうちの宿に泊まっていってくださいな。」
 失礼かもしれないが、陽気なおばちゃん、といった感じの女の人だ。あんた、1人なんて珍しいわねぇなんて話をしながら、ぐいぐいと半ば乱暴に宿帳を書かされ今晩の宿が決定したのだが、なかなかいいところじゃないか、この宿は。案内された部屋もきれいだしな。ベッドに敷いてある、パッチワークの敷物がいい感じだ。
 しかし連日仕事をしまくっていたせいか、俺は宿の快適な設備を堪能する間もなく、ベットにもぐりこんだとたんするっと寝付いてしまったようだ。

 翌朝、おかみさんお手製のおいしい朝ご飯を食べながら聞いた話では、今回は一人の男の子を送らなくてはならないらしい。運悪く荷馬車にはねられたということだった。こういう話はやっぱり何回聞いても慣れない。
「その、亡くなったエティという子ともう一人、その子と兄弟のように過ごしてきた男の子がいるんですけれど、二人とも孤児でしてね。私は住処を与える形で、町の人総出で面倒を見ていたんです。……それが、あんなことになるなんて、思ってもみませんでした」
悲しげに目を伏せるおかみさんに、俺は尋ねた。
「その、もう一人の子……って、どこにいるかわかりますか?」
 ごちそうさま。カタン、とフォークを置いて立ち上がる。
「外に行けば、会えると思います。今は薪割りを頼んでいるので……。」
 わかりました、と答えながら、ドアを開け外に向かう。と、
 ゴン。
 なんだか絵に描いたような擬音がどっかしらからした。や、俺の頭からだ。
 要するに薪割りにいそしんでいるはずの子供から俺は石を、それもそこそこ大きめの石を、投げつけられたのであった。
 「こっ……こら!!あんたいきなりお客さんに何やってんの!それもただのお客さんじゃないのよ、その人はねえ!」
 「知ってるよバーカ!だからだよ!あいつを墓になんか入れてたまるかよ!」
それだけ捲し立てるとおかみさんの怒声を後目にそいつ……ちらっと見えた姿では臙脂色のベストが特徴的だ……は森の方へと駆けていった。
「ったく……ほんとにすみませんね、あら、頭にコブが。いつもは初対面の人にあんなことする子じゃないんですけど。」
 頭をさすりながら俺は言う。
 「……いや、まあ理由は大体わかりますよ。大方俺たちkeenerのことを死神のようなものだと勘違いしてるんでしょう、きっと。」
 「とにかく連れてきて謝らせましょう。これは、百叩きの刑……」
 おかみさん、と遮る。
 「構いません。えーっと……まあ、職業柄、慣れっこです。その対処も含めてね。」これは嘘だ。不慣れ中の不慣れだ。これは仕事柄とかじゃなくて俺の性格で。だが……。
 「とりあえず、俺に任せてみてくれませんか」
 彼は、俺とおんなじだ。
  *
 その少年を探すのはなかなか骨が折れた。森は予想以上に広く、子供は予想以上にすばしっこい。時々姿が見え隠れすることもあったが、その影はすぐに木々の緑と一緒になってしまう。くそっ、体力には自信のあるほうなんだが。
 散々な鬼ごっこの末、俺は開けた小さな原っぱのようなところへ出た。もう村からはずいぶん離れたか知れない。これは、ひょっとしなくても迷っている、というのではないか?あきれるほど牧歌的な野原の雰囲気も、より事態の深刻さを助長している気がするぜ。あーあ、パン粉でも道しるべに撒いておきゃあよかったかな。
探し求めていた少年は、築くと原っぱの中ほどに、胡坐をかいて座っている。間近で見るとますます生意気そうな……恨みがこもった先入観もあるが……顔つきの少年だ。肩で息をする俺を、息を荒げることなど少しもせずにじっと見ている。くそー、若さがほしい。
「情けねえの、おっさん。なんでそんな風に俺のこと追っかけてきたわけ?別にほっときゃいいじゃん。んで、さっさとエティのこと……葬って帰れよ。」
 おっさん!だが俺は挫けない。「そういう訳にもいかねーよ。大体、お前がそれでだめだから俺に石ぶつけてきたんじゃねえのか?どうなんだ?」
 「……だって!俺はそんなの認めない!死体だって見てないし、そんな、俺はまだ、あいつとやりたいことが沢山あったんだ!なのに、そんなの、受け入れられないに決まってる!急に、エティのこと、葬りに来ただなんてっ」
「……坊主、俺はな」
 会話のペースを強奪するように彼の言葉を遮る。
 「……なんだよ」
 「お前らみたいに、ずっと幼いころから一緒だった奴に流行病で死なれたんだよ」
「っ……!」
 口籠っている暇はないと思って、息を大きく吸い込んだ。
「つっても俺はそいつの死に際には立ち会ってない。今してるみたいな一人旅に出る前、俺は医者からあいつの余命一か月の宣告を受けたんだ。それから俺は、すぐに村を発った。……なぜかわかるか?逃げたかったんだよ。単純にな。あいつの死を受け止められないで、色々なものが壊れてしまうことが嫌だった。逃げたんだ、自分にもっともらしい理由を押しつけて……。でもな、逃げるとどうなるか。表面がぴしぴしと壊れていくことはしない。ただ、内側から腐っていくんだよ。大事なものがな。」
「……でもさ、結局つらいのはどっちも一緒なんでしょ?」
「そりゃあ、そうかもしれねーけど……もし逃げなかったらお前は強い悲しみや痛みを受けるだろうが、逃がせるんだぜ、衝撃ってのは。だから結局歌うしかないんだよ……届こうが届くまいが。」
 俺の顔をじっと見ながら話を聞いていた少年は、俺から視線を外し、足元の芝生のあたりに目をやった。
「……俺たちは。よくひばりになりたい、って言い合ってたんだ。もちろん、ほんとに鳥になっちゃいたいって意味じゃないよ……。」
 「うん。」
 「でも鳥みたいにずっと歌ってたら、きっと楽しいだろうなって……。この村を出て、二人でいろんなところへ行ってみたかった。……俺はひばりじゃないし、歌うのは悲しい歌だけど、俺、今日だけはひばりになれると思う?」
「なれるさ。俺が歌を教えてやろう。今日中に覚えて、お前はひばりになって、大事な友達を送り届けてやれ。ほかならぬお前の歌でな。」
そんじゃあ、ひばりの歌、歌うからよーく聞いてろよ。
 たらんたらんと竪琴の音、それから二人の歌う声が、原っぱの草を揺らす。そういう時間は実に夕方まで続いた。そうしてすべての歌詞を覚えきった後、俺たちは彼の友達の眠る墓へと向かった。墓地も森の中にあったようで、すぐに到着した。
それでは。
 「儀式を始めようか。」
  *
 雲雀の姿は見えずとも

 囀る聲の響く谷

 雲の上より降らす歌

 この世の全てを包むよに

 ただ、雲雀の声だけが……。
  *
 帰り道の道すがら。俺は完全に気を抜いていた。うまく歌えたと嬉しそうな少年をほほえましく思っていた。時間は完全に夜だった。
 物陰から覗く銀の反射が目に移った。
『そのあたりは治安が悪く、族が多く出るそうです』
体が少年をかばうように動いていた。
 空を切る音、肉の千切れる音がして、瞬間鈍い痛みが走った。
 矢だ。
 「……おじさん?おじさん!!」
 痛い。腹のあたりを射られたようだということしかわからない。周りの声が、すべて雑音になったみたいで聞き取れない。

 盗賊たちがドヤドヤと木陰から出てきてここまでか、と思ったが、ふと気づくと背後から明るい光が差していた。ランプの灯だ。大勢の大人がこちらに急いで駆けつけている。
 あの村の人々か……。おそらく、帰らない少年を捜索しに来たのだろう。さしもの賊も多勢に無勢だと思ったのか引き上げていく。
 よかった……。それだけ思うと、俺はずるっとその場に倒れ込んだ。少年の心配そうな声だけが頭に響く……。

 おじさん!おじさんってば!……

致死性の毒矢です。もう助かりません。
 村の医者は、俺にそういう意味のことをなるべく遠回しに伝えた。
余命はせいぜい一日でしょうとも。
 こんな時ですら、やっぱりなんて言っていいか分からなくて、わかりましたとそっけなく医師に伝えた。そういえばあの時もこう答えたんだっけ。
 ここらの盗賊が使う毒矢に塗ってあるものは、ある植物から抽出したもので、即効性のある効き目が売りらしい。反面効果は弱く、そちらの処置は簡単だと言う。しかし、その毒物には2つの毒素が混ざっていて、もう一つの方は、遅効性だが大変致死率が高いのだそうだ。応急処置はしておいたから、動き回ることはできるが、内臓まで刺さりこんでしまっていたので、そっちの毒の処置はできなかったという。でも、それで十分だ。 
あの街まで……潮風の吹き込む俺たちの故郷まで、歩いて行けるなら。
「おじさん、大丈夫?」
 病室の外にはあの少年が、心配そうに立ちすくんでいた。なんだ、案外可愛いところがあるじゃないか。
 「ああ……そんなに大したケガじゃなかった。じゃあ俺はそろそろ、故郷に帰るとするよ。」
 海から吹き込んだ風が気持ちいい良いところだぞ、と俺は、無事に帰り着きたいと言う思いを込めて懐かしい風景をいくつか思い出した。
「……おじさん。」
 「なんだ?」
 「ひばりのあの歌は、中身が腐っている人が歌ってるような歌じゃなかったよ。うまく言えないけどさ……きっと、おじさんはまだ腐ってなんかないと思うよ。」
 「……ありがとう。」
 お前、名前は何て言うんだ?と、最後の最後にはじめてそう聞いた。
「リュカだよ。」
「……そうか。リュカか。いい名前だな。」
 ああ。
 これが運命ってやつなのかな?
  *
 なあ。俺さ、お前のことずっと馬鹿だ馬鹿だって言ってたけど、本当に馬鹿だったのはきっと俺のほうだよ。自分が死の淵に立ってはじめて、お前と向き合ってるだなんてな。
 昔のことはさっぱり覚えてないんだが、俺たちは捨て子だったんだろ。本当の兄弟なのかどうかもわからずにずっと二人で育ってきたけど、やっぱりお前とは歌ってる時が一番楽しかった気がする。酒場のおっさんらに教えてもらった歌をお前があんまり楽しそうに歌うから、俺も負けじと竪琴の練習をしたんだっけ?古い竪琴を俺たちの育ての親のばあさんがくれたときはほんとにうれしかったのを覚えてるよ。
 それから成人して、娯楽でなく仕事で歌うことを知って、keenerになったんだっけ。結構、いろんなところ旅したりしたっけ。船に初めて乗って、湖に浮かぶ島へ行ったのが一番印象的だったな。お前はどうせ食べ物のことしか覚えてないんだろ?
あれは去年の夏だったろうか。
 今でもまだ鮮明に思い出せる記憶だ。

 故郷に戻ってからのとある空き時間、俺は旅先で手に入れた楽譜の整理をしていた。気になっている曲があったので一度通しで弾いてみようとして、リュカの姿を探した……が、さっき街の春祭の手伝いに行ったことを思い出してやめた。
 歌唱と楽器の旋律が絡み合うのが特徴の楽譜だったので、仕方ないから自分で歌うことにした。むしろその方が良いかとも思ったほどだったが、慣れないことをしたせいかそれともあいつの歌声が相当に良いのか知らないが、どうもその演奏は締まらなかった。まあでも、歌うのが久々にしては及第点といったところだろう。
 俺はひとまず満足して、今度こそリュカを探しはじめた。

 それからほんの二週間後のこと。あいつが急に体調不良を訴え出した。ずいぶんしおらしい様子だとかなんとか思って、どうせ風邪だろうと思って、たまたま往診に来ていた他の街の医者に見せた。俺らの街の病院は常に元気なお年寄りの鍼治療の予約でいっぱいだと言うことを笑い話にしながら。
 そしたら、リュカが流行病にかかってるって言われて、治療が遅れたから重篤な状態だとか何とか言われた。いきなりのことだったし全然現実味がなくて、ついこないだまで元気だったじゃないかとか思った。結局病院に入院ってことになって、似合わない病院着を着せられているのが借りてきた猫みたいで不自然だった。猫みたいにエリザベスカラーつけて、はい退院なんて、そんなことを少しだけ期待した。
 でも、俺のそんな期待とは裏腹に、リュカは本当にどんどん悪くなっていった。特に会うたびあの声が、歌い声がかすれて、弱弱しくなってくのが耐えられなかった。
 そして俺は、それから三日後……あいつの余命一ヶ月の宣告を受けた。

 病室に行きたくない気持ちと行きたい気持ちをせめぎ合わせながらあいつの元に向かい続けた、そんなある日のこと。病室に見舞いに行くと、俺な、とかしこまった雰囲気で口を開くので、いそいで耳を寄せた。
「お前一人でさ、すぐにでも旅を続けてほしい。keenerとして」
「……は?お前をここに置いて行けっていうのか?」
「ほら、ユーゴのこないだの歌上手かったじゃん。だからさ。」
 聞かれていたのか、と思った。そんなことを言っているんじゃない、とも。
「俺一人で旅なんて無理だ。向いてないし」
「そんなこと言わないでさあ。」
 俺、お前がここで悲しんでるのを死ぬまで見続けるのは嫌だ、そんなふうにあいつは言った。俺だって嫌だ、こいつの苦しむ姿をこいつが死ぬまで見続けるのは。
「お前は覚えてるか知らないけど、keenerになったばかりの時にお前が言った言葉にずっと救われてたんだ……。だから、俺なんかに縛られてないで、また旅を続けてほしい。お願いだよ。歌ってよ俺の代わりに。俺もうまともに歌えなくなっちゃったからさ」
 そんなこと、という俺をあいつの手が遮る。
 その代わりさ、とリュカは言った。
「俺が死んだら、絶対俺の元に帰ってきて。俺のために歌って」

 それで……あとは御覧の通りだよ。俺はお前が死んだ後も、故郷に帰らなかった……嫌だったんだ。お前が死んだという現実を突きつけられるのが。
 今更、逃げ続けたことをお前に許してもらおうなんて調子のいいことを言うつもりはないけど、それでもせめて俺の歌を聴いてほしいんだ。あの子によると俺はまだ腐ってないらしいからな。
 なぁ……リュカ?
  *
幼いころから何度も見慣れた景色の中を、俺は今確かに歩いていた。夜通し歩いてやっとたどり着いた。早朝、数人の道行く人が自分を驚きの目で見つめているけど話している時間はないんだ。とりあえず、ただいま。
まっすぐに墓地へと急いだ。とびきり新しくてつるつるの墓があった。へたり込んだ。もう、一歩も動く力は残されてはいない。竪琴に手をかけた。これで最後だ。幼いころ俺らが一番最初に覚えた歌だ。知ってるだろ。

 花の色いつか融けちゃって

 いつかなる、風に 星になる。

ああ ルル ララ ルララ

世界は融けた、花のいろ。

 ああ ルル ララ ルルラララ

 あなたもぼくも、花のいろ。

 たったこんだけの短い歌だったが、俺らは繰り返し、繰り返し歌ってた。俺も今ずーっと、ワンフレーズ繰り返して、歌い続ける。

 ああそれ、ようく覚えてるよ。好きだったんだ、二人で歌うのが。融けた二人の声が、ほんとに花になるんじゃないかと思ってさあ。るるららるらら。るるららるるらららー、ってね。

 ああ不思議だ。歌ってるうちにだんだん、お前の声が聞こえるようになってきたや。
 るるららるらら。るるららるるららら。
 久々の、デュエットだ。
 そうだ、こうやって。痛みが悼みに代わってもなお止まらない。それこそ色が、融けるまで。
 ずうっーと、歌ってた。
  *
 西の小さな王国。とある大通り沿いに、いつも明るく暖かなレストランがあるという。名物はじっくり煮込んだビーフシチュー。家庭的な味が人気を博している。人のよさそうなおじいさんと、その息子の二人が店を切り盛りしている。
 もう少し道を下ると、みずみずしい満開の青いバラが名物の小さな町に到着するだろう。町長は珍しく若い青年で、町はずれのお屋敷にお嫁さんと一緒に住んでいる。余談だが、この町はパンがおいしい。
 そしてまた、その国では、歌はひとつの追悼の方法だった。
 keener、と呼ばれる歌い手が、死者の来世へ向けた歌を捧げることによって、初めて死者は自然に還り、いつか輪廻を廻ってまたこの世へと生まれてくる。keenerは二人一組で行動し、たいていは楽器を担当する方と、歌を歌う方に分かれる。
 だが、中には一人で『弾き語り』を行う者も存在するようだ。
リュカという少年もその一人だった。彼は伴奏の楽器を持っていなかったが、彼が歌うと不思議と周りの鳥たちも囀りだす。そしていつしか大合唱。仕事の依頼でなくても、頼めばその歌を聞かせてくれるだろう。彼の歌の噂は、それこそ鳥が飛び回るくらいに国中に広まっているので、捕まえるのは少し難しいかもしれないが。
さあ、道をもう少し、もう少し南に下ったら。
 そこには潮風の吹き込む小さな街がある。
 少し足を延ばして、町はずれの墓地に行くと、色とりどりの花が目に飛び込んでくることだろう。比較的新しい二つの墓が並んで立っている、その周りに。
それらの色彩はいろいろな種類の花でできているけれど、中でも一段と強い色彩を放つのは、スイートピーだ。
 まるで、融けてしまいそうに濃い色。
 そして、その墓に刻まれている名前は。
  *
 「リュカ、痛みが悼みに変わった後は、みーんな、花になるんだな。」
 「そうだよユーゴ。だって、世界はみんな、融けた花なんだから。」

《FIN》

トップへ